二十四節気の一つで、太陽が真東から昇って真西に沈み、昼と夜の長さがほぼ同じになる日。
天文学的には、太陽が黄経0度の点(春分点)を通過する時。
春分点は、天球上の黄道と赤道との2つの交点のうち太陽が赤道の南から北へ向かって横切る点のことで、赤経・黄経の基準となる。毎年僅かずつ西に移動しており、現在は魚座にある。
自然をたたえ、生物をいつくしむ
国民の祝日。
1948(昭和23)年7月、公布・施行の祝日法によって制定された。
春分の日・秋分の日の日附は、その前年に国立天文台が発表する『暦象年表』という小冊子に基づいて閣議で決定され、前年2月1日の官報で発表される。よって、2年後以降の春分の日・秋分の日は確定していない。
1879(明治12)年から1948(昭和23)年まで実施されていた大祭日。
宮中の皇霊殿で、天皇自ら歴代の天皇・皇后・皇族等皇祖の神霊を祀る儀式を行った。
ソーラーシステム振興協会が1984(昭和59)年に制定。
太陽エネルギー利用への関心を深める為に、絵画コンクールやデザインコンテスト等が開催される。
卵の殻をつかった芸術「エッグ・アート」の教室、ファンシー・エッグが1989(平成元)年に制定。
春分の日は、全ての生命が芽生える春の中心であることから。
GHQの指示により1949(昭和24)年に制定。1951(昭和26)年からは、この日を中心とする一週間を「動物愛護週間」とするようになったが、1954(昭和29)年に、秋分の日を中心とする一週間に移動された。
二十四節気の一つで、桜等草木の花が咲き始め、万物に清朗の気が溢れて来る頃。
天文学的には、天球上の黄経15度の点を太陽が通過する時。
この日の前日は「寒食」といい、火気を用いない冷たい物を食べる習慣があった。
二十四節気の一つで、春の温かい雨が降って、穀類の芽が伸びて来る頃。
天文学的には、天球上の黄経30度の点を太陽が通過する時。
この頃は雨の降る日が多くなり、穀類の種子の成長を促進するので、種蒔きの好期となる。
二十四節気の一つで、夏の気配が現われて来る頃。
天文学的には、天球上の黄経45度の点を太陽が通過する時。
日本洋傘振興協会(JUPA)が2004(平成16)年に、パラソル(日傘)の販売促進のために制定。
二十四節気の一つで、万物が次第に成長して、一定の大きさに達して来る頃。
天文学的には、天球上の黄経60度の点を太陽が通過する時。
二十四節気の一つで、稲や麦など芒のある穀物の種蒔きの時期。
天文学的には、太陽が黄経75度の点を通過する時。
蟷螂や蛍が現れ始め、梅の実が黄ばみ始める頃である。
二十四節気の一つで、北半球では太陽が最も高く、昼間の時間が最も長くなる日。
天文学的には、太陽が黄経90度の点を通過する時。
菖蒲が咲き始め、半夏(烏柄杓)が生えてくる頃である。
日本電機工業会冷蔵庫専門委員会が1985(昭和60)年に制定。
梅雨の時期は食中毒が多いので、冷蔵庫の整理を呼び掛ける日。
国際的な洋菓子職人の協会「ルレ・デセール」の日本のメンバーが実施。
フランスでは3月20日に「マカロンデー」を実施し難病に苦しむ子供達のための募金を行っている。日本でもこれにならって夏至の日をマカロンデーとした。
二十四節気の一つで、梅雨が明け、本格的な暑さが始まる頃。
天文学的には、太陽が天球上の黄経105度の点を通過する時。
この日から、夏らしい暑さになる「暑気」に入り、暑中見舞いが出されるようになる。蓮の花が咲き始める頃である。また、梅雨明け前の集中豪雨が多く発生する時期でもある。
二十四節気の一つで、暑気が至り一年で最も暑い「酷暑」の時期。
天文学的には、太陽が天球上の黄経120度の点を通過する時。
二十四節気の一つで、初めて秋の気配が現われて来る頃。
天文学的には、太陽が黄経135度の点を通過する時。
この日から暦の上では秋になるが、実際には「残暑」が厳しく、一年で最も暑い時期である。この日から暑中見舞いではなく「残暑見舞い」を出すことになる。
二十四節気の一つで、暑さが峠を越えて後退し始める頃。
天文学的には、太陽が黄経150度の点を通過する時。
二百十日・二百二十日とともに台風の特異日とされている。
二十四節気の一つで、大気が冷えて来て、露が出来始める頃。
天文学的には、天球上の黄経165度の点を太陽が通過する時。
二十四節気の一つで、春分と同様に、太陽が真東から昇って真西に沈み、昼と夜の長さがほぼ同じになる日。
天文学的には、天球上の黄経180度の点(秋分点)を太陽が通過する時。
1948(昭和23)年から国民の祝日。秋の彼岸の中日でもあるので、祖先をうやまい、亡くなった人を偲ぶ
という主旨となった。
春分の日・秋分の日の日附は、その前年の2月1日に国立天文台が作成する『暦象年表』という小冊子に基づいて閣議で決定される。よって、2年後以降の春分の日・秋分の日は確定していない。
1877(明治11)年から1947(昭和22)年まで実施。
太陽暦の導入に伴い、それまで宮中で行っていた皇祖(天皇の祖先)を祀る行事も、全て太陽暦に換算することとなった。しかし、余りに量が多いため、春季皇霊祭と秋季皇霊祭にまとめて行うこととした。
日本中央競馬会(JRA)・馬事公苑が1969(昭和44)年に制定。
1940(昭和15)年9月23日、東京・世田谷区に、騎手の育成、馬術の訓練・競技の為の馬事公苑が開苑した。また、動物愛護週間の期間内の祝日でもあることから、秋分の日を記念日とした。
馬事文化の普及を図る日。
日本テニス協会等テニスに関わる多数の団体で結成された日本テニス振興協議会が1998(平成10)年に制定。
秋がテニスをするのに最適な時期であることから。
テニス愛好者の創出と育成を目的とし、全国各地で各種のイベントやテニスコートの無料開放が行われる。
二十四節気の一つで、露が冷気によって凍りそうになる頃。
天文学的には、天球上の黄経195度の点を太陽が通過する時。
雁等の冬鳥が渡ってきて、菊が咲き始め、蟋蟀等が鳴き止む頃である。
二十四節気の一つで、露が冷気によって霜となって降り始める頃。
天文学的には、天球上の黄経210度の点を太陽が通過する時。
この日から立冬までの間に吹く寒い北風を「木枯らし」と呼ぶ。楓や蔦が紅葉し始める。
二十四節気の一つで、初めて冬の気配が現われてくる日。
天文学的には、天球上の黄経225度の点を太陽が通過する時。
全国米菓工業組合が1985(昭和60)年に制定。
新米で作られたあられやせんべいを、こたつに入って食べてもらおうと制定。
二十四節気の一つで、僅かながら雪が降り始める頃。
天文学的には、天球上の黄経240度の点を太陽が通過する時。
遠くの山の山頂に冠雪が見られ始め、みかんが黄ばみ始める。
二十四節気の一つで、雪が激しく降り始める頃。
天文学的には、天球上の黄経255度の点を太陽が通過する時。
鰤などの冬の魚の漁が盛んになり、熊が冬眠に入り、南天の実が赤く色附く頃である。
二十四節気の一つで、北半球では太陽が最も低く、夜が最も長くなる日。
天文学的には、天球上の黄経270度の点を太陽が通過する時。
この日に、柚子湯に入り小豆粥や南瓜を食べると、風邪をひかないと言われている。
古代には、冬至を1年の始まりとしていた。その名残で、現在でも冬至は暦の基準となっている。太陽太陰暦では、冬至を含む月を11月と定義しているが、19年に1度、冬至の日が11月1日となることがあり、これを「朔旦冬至」と言う。朔旦冬至が正確に19年周期で訪れることは、暦が正確に運用されている証であり、それは政治が正しく行われているということであるとして、朔旦冬至は盛大に祝われた。これまでの朔旦冬至は1995年、2014年、次の朔旦冬至は2033年にはなく、2052年になる。
二十四節気の一つで、寒さが最も厳しくなる前の時期。
天文学的には、天球上の黄経285度の点を太陽が通過する時。
この日を「寒の入り」、この日から節分(立春の前日)までを「寒中(寒の内)」と言い、冬の寒さが一番厳しい時期である。この日から「寒中見舞い」を出し始める。
二十四節気の一つで、寒さが最も厳しくなる頃。
天文学的には、天球上の黄経300度の点を太陽が通過する時。
「寒中」の真ん中で、一年で最も寒い時期である。武道ではこの頃寒稽古が行われる。
森永製菓が2009年に制定。
一年で最も寒い大寒の頃に甘酒がよく飲まれていることから。
二十四節気の一つで、初めて春の気配が現れてくる日。
天文学的には、太陽が天球上の黄経315度の点を通過する時。
この日以降初めて吹く南寄りの強風を「春一番」といい、以降、2回目、3回目を「春二番」「春三番」と言う。気象庁の定義では、立春から春分の日の間に、日本海で低気圧が発達し、南寄りの8メートル以上の強い風が吹き、気温が上昇する現象を指す。
また、立春は雑節の基準となる日で、八十八夜や二百十日等を起算する元となっている。
二十四節気の一つで、温かさに雪や氷が解けて雨水として降り注ぐ日。
天文学的には、太陽が天球上の黄経330度の点を通過する時。
昔から、農耕の準備を始めるのは雨水が目安とされて来た。また、この日に雛人形を飾附けると良縁に恵まれるとされている。
二十四節気の一つで、大地が暖まって、冬の間地中にいた虫が這い出てくる日。
天文学的には、天球上の黄経345度の点を太陽が通過する時。
また、春雷が一際大きくなりやすい時期でもある。
漢王朝6代皇帝の諱が「啓」であり同じ字を使うのは畏れ多いとして、一時、音が似ている「驚蟄」に改められた。唐代になって「啓蟄」に戻され、その頃に日本に二十四節気が伝わった。大衍暦になって再び「驚蟄」に戻されたが、日本では「啓蟄」のままとした。
西方に阿弥陀如来の極楽浄土があるとする仏教の教えから、太陽が真西に沈む春分・秋分の前後7日間を「彼岸」と言う。
彼岸とは、梵語の「波羅密多」の訳「到彼岸」を略した言い方で、生死の海を渡って到達する悟りの世界を指す。
中国・韓国で行われている行事。この日は家で火を炊くことを忌み、冷たい物を食べる。
元は冬至から105日目で、その翌日を清明としていた。
立夏の前日までの約18日間。
元々は立夏の前の18日間だったが、現在では太陽が黄経27度の点を通過する瞬間から立夏までを指す。
土用の間は土の気が盛んになるため、土を動かすことや殺生が忌まれた。
本来「土用」は立春・立夏・立秋・立冬のそれぞれの前に設けられているが、現在では「土用」と言えば立秋の前の夏の土用だけを指すようになっている。
雑節の一つ。天文学的には、太陽が黄経80度の点を通過する時。
梅雨の季節に入る日とされているが、梅雨入りの時期は地域によって異り、実際の梅雨とは関係がない。
旧暦では梅雨の入りを芒種のあとの最初の壬の日、梅雨明けを小暑のあとの最初の壬の日としていた。もちろん、本当の梅雨入り、梅雨明けの日附は年により、地方により異なるものであるが、農家にとって梅雨入りを知ることは田植えをする為に重要なことだった。
入梅の語源は、梅の実が熟す頃に雨期に入ることから来ている。また、この頃は湿度が高く黴が生えやすいことから「黴雨」と言われ、これが「梅雨」になったと言われている。
チョーヤ梅酒が2004年に制定。
雑節の一つで、半夏(烏柄杓)が生える頃。
元々は夏至から数えて11日目の日だったが、現在では天球上の黄経100度の点を太陽が通過する時となっている。
この日は天から毒気が降ると言われ、井戸に蓋をして毒気を防ぎ、この日に採った野菜は食べてはいけないとされた。
香川県生麺事業協同組合が1980(昭和55)年に制定。
農繁期が一段落する半夏生の日に、天から毒気が降るという言い伝えにより、香川県の農家では毒を消す力があると言われる小麦で作られたうどん等を食べる風習があったことから。
立秋の前日までの約18日間。
元々は立秋の前の18日間だったが、現在は太陽が黄経117度の点を通過する時から立秋までを指す。
土用の間は土の気が盛んになるため、土を動かすことや殺生が忌まれた。
本来「土用」は立春・立夏・立秋・立冬のそれぞれの前に設けられているが、現在では「土用」と言えば立秋の前の夏の土用だけを指すようになっている。
夏の土用の期間を「暑中」といい、暑中見舞いが出される。この頃は猛暑の時季で、昔から栄養のあるものを摂る習慣があった。
昔、この日の天候で、その年が豊作か凶作かを占う風習があった。
西方に阿弥陀如来の極楽浄土があるとする仏教の教えから、太陽が真西に沈む春分・秋分の前後7日間を「彼岸」と言う。
彼岸とは、梵語の「波羅密多」の訳「到彼岸」を略した言い方で、生死の海を渡って到達する悟りの世界を指す。
立冬の前日までの約18日間。
元々は立冬の前の18日間だったが、現在は太陽が黄経207度の点を通過する時から立冬までを指す。
土用の間は土の気が盛んになるため、土を動かすことや殺生が忌まれた。
本来「土用」は立春・立夏・立秋・立冬のそれぞれの前に設けられているが、現在では「土用」と言えば立秋の前の夏の土用だけを指すようになっている。
麦作りの厄日とされ、この日の天候によってその後の天気や収穫に重大な影響があるとされていた。
この日に降る雨を「寒九の雨」といい、豊作の兆しであるとされていた。
立春の前日までの約18日間。元々は立春の前の18日間だったが、現在では太陽が黄経297度の点を通過する瞬間から立春までを指す。
土用の間は土の気が盛んになるため、土を動かすことや殺生が忌まれた。
本来「土用」は立春・立夏・立秋・立冬のそれぞれの前に設けられているが、現在では「土用」と言えば立秋の前の夏の土用だけを指すようになっている。
本来は各季節の始りの日(立春・立夏・立秋・立冬)の前日のことであるが、現在では春の節分だけが行われている。
季節の代り目には邪気が生じると考えられており、それを追い払う為、この日の夕暮れ、柊の枝に鰯の頭を刺したものを戸口に立てておいたり、炒った大豆を蒔いて歳の数だけ食べたりする習慣がある。
全国海苔貝類漁業協同組合連合会が1987(昭和62)年に制定。
節分の夜に恵方(その年の吉の方角)に向かって太巻きを食べると幸せになれるという言い伝えから。
雑節の一つで、立春から数えて88日目。
「八十八夜の別れ霜」といい、この日以降は霜が降る心配がないとされている。
また、この日に摘んだ新茶は上等なものとされ、この日にお茶を飲むと長生きすると言われている。
雑節の一つで、立春から数えて210日目。
八朔(旧暦8月1日)や二百二十日とともに、農家の三大厄日とされている。
台風襲来の特異日で、富山県八尾町の「おわら風の盆」等各地で風鎮めの祭が行われて来た。
雑節の一つで、立春から数えて220日目。
八朔(旧暦8月1日)・二百十日とともに天候が悪くなる農家の三大厄日として恐れられて来た。
統計的には台風は二百十日から9月下旬にかけて襲来することが多く、二百十日よりも二百二十日の方を警戒する必要がある。