六曜とは、先勝・友引・先負・佛滅・大安・赤口の6つのことです。暦の中で最も有名な暦注で、運勢暦でなくても普通のカレンダーや手帳にも記載されてゐます。結婚式は大安に、葬式は友引を避ける等、日常生活の様々な場面で活用されてゐます。
しかし、その起源ははつきりとせず、一般的になつたのは幕末以降のことです。1箇月30日を5つに分けて、それぞれの日を區別するための記號、即ち、現在の七曜のやうな使ひ方がされてゐたと考へられてゐます。
14世紀の鎌倉時代末期から室町時代にかけて日本に傳来しました。その名稱や解釋・順序も少しづつ變へられ、現在では大安と赤口以外は全て名稱が變はつてゐます。現在の形になつたのは、19世紀初頭の文化年間のことです。
江戸時代の終りから民間の暦にひつそりと記載され始めました。それが、明治時代に入つて吉凶付きの暦注は迷信であるとして政府に禁止されたことが、逆に六曜の人氣に拍車をかけることとなり、第二次大戰後の爆發的流行に繋りました。
なほ、「六輝」といふのは「七曜」との混同を避けるために明治以降に作られた名稱です。
六曜の讀み方はばらばらで、どれが正解といふものがありません。
六曜は先勝→友引→先負→佛滅→大安→赤口の順で繰返しますが、舊暦の毎月1日の六曜は以下のやうに固定されてゐます。
よつて、舊暦では月日により六曜が決まることになります。例へば、舊暦8月15日の十五夜の日は必ず佛滅になり、4月8日の花祭りの日は大安になります。
しかし、新暦のカレンダーの上では、規則正しく循環してゐたものがある日突然途切れたり、同じ日の六曜が年によつて、月によつて異つてゐたりします。このことが神祕的な感じを與へ、これも六曜の人氣の原因の一つとなつてゐます。
佛滅は元々は「空亡」といつてゐたものが、全て虚しいと解釋して「物滅」となり、轉じて「佛滅」となりました。釋迦の命日とされる2月15日は必ず佛滅になりますが、これは偶然さうなつただけで、「佛滅」の名前の由来とは關係ありません。